不登校の子どもと向き合う中で、私は“正しさ”を手放した|親としての葛藤と気づき
-1024x580.jpg)

「学校へ行かなきゃだめ?」その言葉に戸惑った日
「学校へ行かなきゃだめ?」
その一言を、私は最初、うまく受け止めることができませんでした。
冗談だと思いたかった。いや、冗談であってほしかったのかもしれません。 何かの気まぐれで、たまたま出てきただけの言葉なのだと、自分に言い聞かせようとしていました。
もう一度、何もなかったかのように声をかけます。
「そろそろ起きなさい」
「遅れるよ」
でも返ってくるのは、布団の中からの小さな沈黙か、あるいは短い拒絶の言葉だけでした。
その日は体調が悪いのだろうと受け入れ、学校へ欠席の連絡を入れて一日を過ごしました。
そして、そんな朝は、その日だけではありませんでした。
お腹が痛い。頭が痛い。眠れなかった。
体調不良を訴えることもありましたが、学校へ欠席連絡を入れた途端、少し元気を取り戻しているように見える日もありました。 その変化が、余計に私の中の混乱を大きくしていったのです。
「うそをついているのではないか」
そのショックも大きかったですし、学校を意図的に休もうとしているという事実が、さらに混乱に拍車をかけました。
そして、それが続いたある日、息子ははっきりと言いました。
「なんで行かなきゃいけないの?」
「僕が壊れてもいいの?」
その瞬間、頭の中が真っ白になりました。
どうして?
何があったの?
理由を聞いても、本人も説明できないようでした。 理由は毎回変わります。 友達のことだったり、担任の先生のことだったり、登下校の手段のことだったり。
一貫性はなく、はっきりしているのは、ただ「学校へ行きたくない」ということだけでした。
そのほかのことは、何も分かりません。 本人自身も、分かっていないようでした。
私は、「理由がなく学校へ行かない」という状況が理解できませんでした。
だから、何度も彼に問いかけました。
「なんで?」
「何があったの?」
でも、彼はただ「行きたくない」と言うだけでした。
<イメージ12>
何かしらの理由があるからではなく、感覚だけで答えているように見えたのです。
「行きたくない」
そのときの私は、完全に動転していました。
頭が真っ白になる――というのは、こういうことなのかと、どこか冷静に自分を見つめている、もう一人の自分もいました。
それまでの私の頭の中には、子どもが学校へ行かない、という情景はありませんでした。
「学校へ行くのが当たり前」
私は、そんな前提の中でしか物事を見ていなかったのだと思います。

「普通」から外れたと感じた日の戸惑い
不登校という言葉は知っていました。
ニュースで見たこともありますし、誰かの話として耳にしたこともありました。
長女の子育てのときにも、同級生に不登校の子どもがいました。 そのときの私は、どこか他人事のまま、
「大変そうだな」
「かわいそうに」
「将来どうするんだろう」
そんなふうに、距離のある視線で見ていただけだったのだと思います。
でも、それが自分の家庭に起きるとは思っていませんでした。
「うちの子に限って」
そんな思いが、どこかにあったのかもしれません。
そもそも、“不登校になる可能性”という選択肢そのものを、頭の中から消していたのだと思います。
だからこそ、現実を突きつけられたときの衝撃は大きなものでした。
学校へ行かない日が続くにつれ、私は焦りと不安でいっぱいになっていきました。
このままで大丈夫なのか。
将来はどうなるのか。
勉強はどうするのか。
社会に出られるのか。
頭の中は、「どうしよう」という言葉で埋め尽くされていきました。
しかし、その「どうしよう」は、答えを生み出さないまま空回りし続けるだけでした。
ただ、何かを考えなければならない。 そのためだけに頭の中が回り続けている――そんな感覚でした。
そして、その不安は、知らないうちに子どもへの言葉へ変わっていきました。
「明日は行くの?」
「みんな頑張っているよ」
「学校は行くものだよ」
「学校へ行かないと、ついていけなくなるよ」
今振り返れば、それは励ましではなく、威圧だったのかもしれません。
そして、学校からの連絡も、私たち親子を少しずつ追い詰めていきました。
「明日は登校しますか?」
「休みの連絡は毎日お願いします」
「今日は何をして過ごしていましたか?」
その当時、フルタイムで働いていた私は、
「どう過ごしていたのか分かりません」
そう答えるしかありませんでした。
担任の先生は、
「彼の心のために、今は休ませてあげてください」
そう言ってくれました。
でも私は、本当に彼の将来を考えてくれているのだろうか、と疑う気持ちも抱えていました。
休んで得られなかった「学習」や「経験」という権利は、どう補っていけばいいのか。
そんなことを聞いたところで、どうにもならない。
担任の先生に、自分の不安や焦りを伝えても仕方がない。 そう思ってしまっていました。
ただでさえ、毎日の欠席連絡を学校へ入れること自体が、私の心にたくさんの傷をつけていました。
そして、その苦しさの原因を、いつしか私は、 「子どもが学校へ行かないせいだ」 と強く思うようになっていたのです。
子どもが学校へ行かないから、こんなに大変なんだ。
先生は「子どもの心を優先」と言う。
専門家は「今はそういう時期」と言う。
でも、毎日顔を合わせ、何を言われても笑顔でやり過ごさなければならない私の苦しさなんて、誰も分かってくれない。
私が子どものことを考えてやらなければ。
私がどうにかしなければ。
私の心は岩のように硬くなり、圧縮されて固まったそれは、いつ破裂してもおかしくないほど膨れ上がっていました。
夫婦喧嘩も増え、家族の会話は最低限になり、私はいつも苦い顔で考え込むようになっていました。
そして、子どもは部屋から出てこなくなっていったのです。

外からの視線と孤独
もうひとつ、しんどかったのは「外からの視線」でした。
誰かに責められたわけではありません。
でも、どこかで常に、
「普通ではない家」
そんな感覚を抱えていました。
近所の人や知り合いから、何気なくかけられる言葉。
「子どもさん、行けるようになったの?」
「あら、今日は学校はお休み?」
その何気ない一言が、私には一番つらかったのです。
相手に悪気がないことは分かっていました。
何も知らずに声をかけているだけ。 それでも、その言葉を聞くたびに、 “普通ではない現実”を突きつけられているようでした。
「大丈夫。行けるようになるよ」
そんな励ましの言葉さえ、当時の私には刃のように感じられました。
私は少しずつ、人と話すことが怖くなっていきました。
説明することもしんどい。
理解されないことも怖い。
この気持ちを、この状態を、どう伝えれば良いのか分からない。
そもそも、伝えて良いものなのかさえ分かりませんでした。
何も分からなかったのです。
毎日が孤独でした。
何かをする気力も、少しずつ失っていきました。
今振り返れば、あの頃の私も、子どもも、
きっと、限界だったのだと思います。

ぶつかり合いの中で見えなくなっていたもの
ある日、息子がぽつりと言いました。
「なんでそんなに行かせたいの?」
その言葉に、私は返す言葉が見つかりませんでした。
「将来のため」
「ちゃんとした大人になるため」
「学校へ行くのが当たり前だから」
そんな“正論”を並べようとしました。
でも、どの言葉もどこか薄っぺらく感じたのです。
そして、一番最初に出てきそうになった言葉は、
「そういうものだから」
――という、私自身でさえ納得できない答えでした。
いろいろと思いつくことを口にしながら、私は心のどこかで気づいていたのだと思います。
これは本当に、子どものためなのだろうか。
それとも、 自分自身の安心のためなのだろうか。
私は、“子どもの気持ち”ではなく、 “親としての不安”を埋めるために動いていたのではないか。
その可能性に気づいた瞬間、胸がぎゅっと締め付けられました。
でも同時に、
「じゃあ、どうすればよかったの?」
その答えも、まったく分かりませんでした。
ただ、学校からの矢面に立ち続けている自分の心が、限界だと叫んでいたのです。
誰かに助けてほしい。
ただ、それだけでした。
今振り返ると、あの頃の私は、
「助けてほしい」
その言葉だけを、心の中で繰り返していたように思います。

「何もしない」ことの難しさ
不登校に向き合う中で、一番難しかったのは、 「何もしない」 という選択でした。
何かをしなければいけない気がする。
動かなければ、取り返しのつかない方向へ進んでしまう気がする。
何もしなければ、親として駄目なのではないか。
そんな焦りが、常に心の中にありました。
私は情報を求め、本を読み、ネット記事を読み、経験談を探しました。
そこには、
「休ませることが大事」
「今はエネルギーを回復する時間」
そんな言葉がたくさん書かれていました。
頭では理解できるのです。
でも、心は納得できませんでした。
「それは、他人だから言えることではないのか」
そんな疑いの気持ちも、どこかにありました。
また、
「お母さんは大丈夫?」
そう声をかけてくれる人もいました。
けれど、当時の私は、その言葉を真っ直ぐ受け止めることができませんでした。
関わってくれている人たちの言葉を曲解し、 「全部に棘がある」 と思い込んでいたのです。
普通に子育てをしているように見える人たち。
その人たちの子どもと、 「普通ではない我が家」 を前にしている自分。
その距離が、あまりにも遠く感じられました。
でも、あるとき気づいたのです。
このまま無理に動かそうとすれば、壊れるのは子どもだけではない。
私自身も、きっと壊れてしまう。
そこから私は、少しずつ「動かす」ことをやめていきました。
それは前向きな決断というより、 限界の中での選択 に近かったと思います。
何もしないという選択。
そうでなければ、これ以上情報を入れたり、何かをしようと動き続けたりしたら、自分が破裂してしまう。
そんな予感がありました。
「もう駄目だ。ここまでだ」
長い時間をかけて、私はようやく、
「何もしない」
ということを選択したのです。

距離を取ることで見えてきた子どもの姿
自分の限界を感じてから、私はこの問題から一歩身を引くことにしました。
逃げたと言われても、仕方がないのかもしれません。
でも、不思議なことに、 私が少し引いたとき、家庭の空気は変わり始めたのです。
もちろん、すべてが急に良くなったわけではありません。
学校へ行くようになったわけでもありませんでした。
それでも、確実に何かが変わっていました。
子どもは、以前よりもリビングにいる時間が増えていきました。
ゲームの話をする。
動画の話をする。
流行っている歌のことを教えてくれる。
そんな、どうでもいいような会話が、少しずつ増えていったのです。
でも、その何気ない時間の中に、 “その子らしさ” が戻ってきているような気がしました。
以前は、学校のことばかりを見ていました。
行けるのか。
行けないのか。
明日はどうするのか。
いつの間にか、 「学校へ行く・行かない」 だけが、子どもを見る基準になっていたのだと思います。
でも、少し距離を取ったことで、私はようやく気づき始めました。
子どもは、「学校へ行けない子」ではなく、
ひとりの“その子自身”だったのだと。
そして気づいた頃には、
「学校へ行く・行かない」という基準そのものが、
私の中で、少しずつ薄れていっていたのです。
少しずつ変わっていった親としての在り方
あるときから、私は少しずつ意識を変えるようになりました。
それまでは、
「どうすれば学校へ戻れるのか」
そのことばかりを考えていました。
でも、そこから少し視点を変え、
「この子は今、何を感じているのだろう」
そう考えるようになったのです。
そして、 無理に答えを出そうとしない ことを、自分の中で決めました。
ただ話を聞く。
否定しない。
結論を急がない。
学校の話題を中心にしない。
学校を“無かったこと”にするくらいの感覚で会話をする。
本当に、それだけのことでした。
でも、最初はとても難しかったのです。
つい聞きたくなる。
つい不安になる。
つい「このままでいいのか」と考えてしまう。
それでも、 答えを急がずに関わる ことを、少しずつ続けていきました。
すると、親子の関係は少しずつ変わっていきました。
以前よりも自然に話せる。
以前よりも笑う時間が増える。
以前よりも、同じ空間に居られる。
大きな変化ではありません。
でも、あの頃の私たちにとっては、 とても大きな一歩 だったのだと思います。

親としての自分を責め続けた日々
それでも、心の揺れが消えることはありませんでした。
夜になると、いろいろなことを考えてしまうのです。
あのときの言葉は間違っていなかっただろうか。
別の選択肢があったのではないか。
誰かに相談していれば違っていたのか。
そして、ときには、
「もしかしたら、今日の様子なら明日は学校へ行けるかもしれない」
そんな期待まで浮かんでしまう。
“もしも”という考えが、頭の中で何度も繰り返されていました。
50代になってからの子育ては、 想像以上に孤独 でした。
周囲の友人たちは、すでに子育てを終え、それぞれの生活を楽しんでいました。
旅行の話。 趣味の話。 夫婦のこれからの話。
そんな会話の中で、 「不登校」 の悩みを気軽に話せる相手はいませんでした。
勇気を出して相談しても、
「大変だね」
その一言で終わってしまうこともありました。
あるいは、
「行かなくても、何とかなるよ」
そんなふうに言ってくれる人もいました。
でも、その言葉を聞いても、
「そうだね」
としか、私自身も返すことができなかったのです。
なぜなら、本当に欲しかったのは、 “正しい答え”ではなかった から。
今になって思うのです。
本当に欲しかったのは、
「分かるよ」
その一言だったのだと。
不登校は“終わり”ではなかった
今でも、息子は毎日学校へ行っているわけではありません。
まだ、行かない日の方が圧倒的に多いですし、
「行く」
そう言っていた日でも、朝になると行けなくなることがあります。
それでも、以前のような張り詰めた空気は、少しずつ消えていきました。
私自身も、以前より自然に受け止められるようになっていたのです。
行ってもいい。
行かなくてもいい。
「まぁ、いっか」
今は、そんなふうに思える瞬間が増えてきました。
そして、もうひとつ感じていることがあります。
それは、 不登校は「失敗」ではなかった のかもしれない、ということです。
むしろ、
「立ち止まるための時間」
だったのかもしれません。
走り続けていた子どもが、一度立ち止まり、 自分の心を守るために必要だった時間。
そして、その時間は、 子どもだけのものではなかった のだと思います。
私自身もまた、
「親としてどうあるべきか」
「子どもを見るとはどういうことか」
そんなことを、立ち止まって考え直す時間をもらっていたのかもしれません。

最後に|同じように悩む誰かへ
もし今、同じように不登校の子どもと向き合っている人がいるなら、伝えたいことがあります。
正解は、すぐには見つかりません。
誰かの答えが、そのまま自分たちの答えになるわけでもありません。
焦る気持ちは簡単には消えませんし、心は何度も揺れ続けます。
それでも、子どもはちゃんと感じています。
親のまなざし。
親の言葉。
そして、親の沈黙まで。
そして親自身もまた、 未完成のまま進んでいる存在 なのだと思います。
完璧である必要はありません。
迷いながらでもいい。
立ち止まりながらでもいい。
少しずつ、その家庭なりの形を見つけていけばいいのだと思います。
そう思えるようになるまでに、私は何度も揺れ、何度も立ち止まりました。
それでも今は、 この経験は無駄ではなかった と感じています。
そして今、私たちは以前とは違う形の穏やかな時間を、家族で過ごしています。
子どもは、食事のあとに食器を洗ってくれるようになりました。
洗濯物も、気が向いたときにはたたんでくれます。
私はフルタイムの仕事を手放し、今はフリーランスのライターとして働いています。
彼と過ごす時間は、あの頃よりずっと長くなりました。
特別なことが起きたわけではありません。
ただ、日常の中に小さな役割が増え、 家族の関係の形が少しずつ変わっていった だけなのです。
そんな私たちの関係を、
彼が、そっと支えてくれている。
今は、そんなふうに感じることがあります。
そして私は今、
「これでいい」
そう思えるようになっています。

-300x170.jpg)