イコノグラフィーとは?絵画に隠された意味を探ろう

芸術作品やデザインに込められた「隠された意味」に興味はありますか?
一見するとただの絵画の中の置物でも、実は長い歴史を経て培われてきた深い意味が隠されていることがあります。こうした「モチーフから意味のあるイメージ」を読み解くための視点が、イコノグラフィー(図像学)です。
今回の記事では、「イコノグラフィー(図像学)」というテーマを軸に、実際の絵画やゲーム、ロゴなどを例にして図像学的モチーフを解説していきます。
芸術をより深く味わいたい方や、デザインの裏側に隠された意味に興味のある方に向けて、知れば芸術鑑賞がもっと楽しくなるイコノグラフィーを、さっそくご紹介していきます。
はじめに

私たちは日々、膨大な「イメージ」の中で暮らしています。
美術館に並ぶ絵画や、テレビCM、ゲームのビジュアル、街中にあふれるロゴや広告──それぞれが視覚的なインパクトを持ち、無意識のうちに私たちの感情や記憶に訴えかけてきます。
こうした「視覚的なメッセージ」は、しばしば意味や象徴を伴っています。
たとえば、天使の羽は神聖さ、蛇は誘惑、月は女性性や周期性を表すなど、特定のモチーフには共通の象徴性が与えられてきました。このようなモチーフの背景や文脈を読み解く学問がイコノグラフィー(iconography)です。
「図像(eikon)」と「記述する(graphein)」を合体させた言葉で、日本語では「図像学」と訳されます。絵画や彫刻、デザインなどにおいて、描かれたモチーフが持つ意味から作品の本来の意味を読み解く学問であり、歴史的、社会的背景の研究にも活用されています。
誰も気に留めないような小さなデザインでも、それがわざわざ描かれた意味を探ることで、その絵画の解像度がぐっと上がるのです。
イコノグラフィーとは

イコノグラフィーは、単なる”図像”と”モチーフ”の集合ではなく、「意味の構築」に大きく関わります。芸術作品は時代の価値観や思想、宗教観を反映しており、モチーフ一つにも意味が込められています。
ルネサンス期の絵画では、見る者がそのモチーフの意味を理解することが前提とされており、たとえば百合の花は純潔、犬は忠誠、砂時計は死といった暗示的なモチーフが数多く登場します。
つまり、イコノグラフィーとは、作品の“見えない層”を可視化する行為とも言えます。芸術作品は、ただ美しいだけではなく、常に“何かを語ろうとしている”。そのメッセージを読み取るためのリテラシーが、図像学なのです。
このイコノグラフィーという学問分野を確立したのは、エルヴィン・パノフスキーという人物です。彼は図像の「前提知識」や「文化的コンテクスト」を重視し、単なる視覚的記号以上の意味を引き出す理論を打ち立てました。
パノフスキーの三層分析(事象的意味→図像学的意味→象徴的意味)は、今日でも芸術研究や文化分析に応用されています。
更にアビ・ヴァールブルクという人物は、図像の背後にある「文化記憶」や「感情の歴史」に注目し、図像の反復や変異を追跡しました。彼のイメージアーカイブである『ムネモシュネ・アトラス』は、視覚文化研究の礎となっています。
代表的なモチーフ
宗教的なモチーフ

キリスト教を意味するモチーフとして最も有名なものが、十字架と聖母マリアです。
十字架はイエス・キリストの犠牲や復活の象徴であり、苦難の先にある救済を意味します。
また、聖母マリアは慈愛の象徴とされており、中でも百合の花と共に写るものは純潔を表現していると言われています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」でも大天使ミカエルの脇に描かれており、これはマリアが処女のまま懐胎したという、新約聖書内の「処女受胎」を表しているとされ、単なる美的装飾ではないというところが重要なポイントです。
こうした宗教的モチーフは、視覚的に信仰を強調し、識字率の低かった時代においても信者に重要なメッセージを伝える手段となっていました。
神話的なモチーフ

ギリシャ神話に登場するアテナは、知恵と戦略の女神とされています。
彼女のシンボルとして、彼女とともにフクロウや盾が描かれることが多く、それらは守護の象徴として扱われます。なおフクロウはその動物的特徴から、守護だけでなく知恵の象徴とも言われています。
盾に関しては、古代神話に出てくる「イージス(神の盾)」を表していると言われており、敵が恐れおののき、戦意を喪失するという魔除けや強力な守護の意味を持つとされています。
ピーテル・パウル・ルーベンスの「パリスの審判」では、作品の左端、女神アテナの腰付近にメドゥーサの顔が彫られたイージスの盾が置かれています。これは見る者を石に変える恐怖の象徴であり、敵の戦意喪失を誘う力を持っています。
絵画ジャンルでの例

17世紀のオランダ絵画では、「ヴァニタス」と呼ばれる静物画のジャンルが登場しました。
これは、人生の儚さや物質的欲望の空しさを象徴的に描いたもので、骸骨、砂時計、枯れた花、燭台などが多く描かれるようになりました。
これらは共通して「人生の儚さ」や「ヴァニタニス(虚栄の儚さ)」を象徴し、有名作品の中にもひっそりと登場しています。「ひまわり」や「星月夜」で有名なゴッホも、枯れた花々の作品を多く残しています。
ゴッホの「ひまわり」と言えば、黄色い背景に鮮やかなひまわりが描かれた作品が有名ですが、「切られた4本のひまわり」では、命の終わりを象徴するように花の首が切り落とされています。
単に植物を描いたのではなく、死や虚しさへの暗示と解釈することもできます。
絵画「天秤を持つ女」に描かれるイコノグラフィー

「天秤を持つ女」は、ヨハネス・フェルメールによって描かれた風俗画の1枚です。
一見すると穏やかな日常の風景を描いた作品に見えますが、その背景には深い宗教的、倫理的な意味が込められています。この作品には、白い頭巾を被ったシスターのような女性が天秤を持つ様子が描かれています。しかしよく見ると天秤には何も乗っていません。
では彼女は何を量ろうとしているのでしょうか。それを探るには、彼女の後ろに飾られている「最後の審判」の絵画がヒントになります。最後の審判は、新約聖書内の「ヨハネの黙示録」の中で描かれている物語です。
この審判では、世界最後の日に人々の今後の行き先を天国か地獄か振り分けています。ここでは、大天使ミカエルが生前の善行と悪行を天秤で量り、その傾きに応じて行き先が判断されます。
このシスターの天秤にミカエルの天秤と同じ意味を与えるならば、彼女が量っているのは人々の善行と悪行であり、言い換えれば「善悪のつり合い」や「人としての価値」であると考えられます。
更に詳しく見ていくと、テーブルの上に宝飾品が多く置かれていることが分かります。
これらは富と虚栄の象徴であり、これらを量ろうとしない彼女の姿は、「真に価値のあるもの」を見極めようとする、高貴な精神性の表れであると読み取ることもできます。
静けさのなかに込められた倫理的な問いかけ──それがイコノグラフィーを通じて浮かび上がるこの作品の本質なのです。
ゲーム「Detroit:Become Human」に描かれるイコノグラフィー

イコノグラフィーは、古典絵画のものだけではありません。私たちが日常的に接するゲームや映画、広告などのビジュアルコンテンツにも、深い象徴性が込められています。その好例が、クアンテック・ドリーム社によるゲーム「Detroit:Become Human」(2018年)です。
この作品は、プレイヤーの選択によってシナリオが大きく変化していくアクションアドベンチャーゲームです。コナー、カーラ、マーカスという3人のアンドロイドを操作することで物語が進んでいきます。
この作品の中で印象的なシーンが、マーカスが立ち上がるシーンです。人間からの迫害を止め、対等な関係を築くために立ち上がるシーンは、自由を求めるリーダーとして、モーセやキリストのような「預言者」や「救世主」を彷彿とさせます。
実際、十字架にかけられるようなポーズを連想させるシーンや、銃撃の中で無防備に立ち尽くす受難者のようなイメージと重なるシーンは多くあり、マーカス=キリスト的存在(救世主/犠牲者)という解釈は図像的に意図されている可能性が大いにあります。
また、アンドロイドのこめかみに取り付けられているライトは、感情に応じて青=正常、赤=危険というように変化します。この演出は内面の状態を象徴する色彩的イコノグラフィーと言えます。
また、こうした色的なイメージも図像解釈の一種です。こうした小さな表現からも、我々の身近にイコノグラフィー的モチーフがあふれていることが分かるでしょう。
この作品だけでなく、「エヴァンゲリオン」に登場するロンギヌスの槍や、「ゼルダの伝説」のトライフォース、映画「ブレードランナー2049」の人口眼など、様々な作品の中でイコノグラフィー的モチーフは用いられています。
象徴を読むことで、物語が一層深く理解できる──これこそ、現代のイコノグラフィーの魅力です。
意外と身近なイコノグラフィー
図像学的な視点は、アートやフィクションの世界にとどまりません。実は、企業のロゴや商品パッケージ、広告ビジュアルにも数多くの象徴が潜んでいます。
Appleのロゴのイコノグラフィー

スマートフォンなどのデジタル機器を多く取り扱うApple社は、かじられた林檎をロゴに使用しています。
これは知識や誘惑、原罪などを象徴し、キリスト教における「アダムとイブの禁断の果実」に由来します。コンピューターという知識の集合に対し、「禁じられた知恵に人々が手を伸ばした」という寓話的意味合いを見出すことができます。
Starbucksのロゴのイコノグラフィー

Starbucksは世界的に有名なコーヒーチェーン店です。そのロゴにはセイレーンという人魚が用いられ、コーヒーのカップや紙袋にも印刷されています。
セイレーンは古代神話に登場する「船乗りを惑わす声を持つ」人魚であり、船乗りたちは足を止めてしまいます。これはStarbucksの「旅の途中に立ち寄る場所」というコンセプトにも重なります。
Rolexのロゴのイコノグラフィー
Rolexは世界的に有名な腕時計などを扱うブランドです。ロゴには王冠が用いられており、それは権威や高級、永続性などを象徴しています。
これを時計に用いることで「時を支配する存在」や「人生の勝者」などのメッセージ性を持たせています。
Ferrariのロゴのイコノグラフィー
Ferrariは高級車のブランドとして有名です。ロゴには跳ね馬が用いられ、それは力や速さ、誇りなどを象徴しています。
馬は古くから戦いや高貴さを示すモチーフであり、中でも跳ね馬は英雄的な精神や挑戦を示す図像としても扱われています。
Nikeのロゴのイコノグラフィー

Nikeでは、スウィッシュという女神ニケの翼がロゴに用いられています。
ブランド名の由来でもある勝利の女神ニケの翼は、素早さと勝利の象徴として知られており、スポーツシューズブランドとしてぴったりのモチーフであると言えます。
イコノグラフィーと現代テクノロジー
今日、MidjourneyやDALL·Eのような生成AIが創る画像にも、無意識的に図像学的モチーフが入り込んでいます。たとえばプロンプトに「天使」や「神殿」と入れれば、過去の宗教画に基づいたビジュアルが再構成されます。
このように、AIが生み出す画像には人類の視覚文化の蓄積が透けて見えます。逆に言えば、AIを通して私たちはどのような図像を求めているのか、自らのイメージの傾向を客観視することが可能です。
さらに今後、イコノグラフィーの視点は教育やビジネス、SNSなど、より多様な場面で活用されていくでしょう。図像が持つ意味や訴求力を理解することで、情報の受け手としてだけでなく、発信者としての表現力も磨かれていきます。
アートだけでなく、日々の生活やコミュニケーションにも応用できる柔軟な思考法として、イコノグラフィーはこれからの時代にますます重要性を増していくに違いありません。
図像は言語の壁を越えるコミュニケーション手段でもあります。異文化理解や国際交流の場面でも、共通する図像の意味(たとえば太陽=生命、翼=自由など)を手がかりに、相手の文化への敬意と理解を深めることができます。
また、マーケティングやブランド戦略の分野でも、イコノグラフィーが重要視されてくるでしょう。
成功するブランドは、単に「おしゃれ」なロゴを作っているのではなく、時代や文化に根ざしたシンボルを意図的に活用して“共感”を生み出しています。
たとえば、サステナビリティを訴求するブランドが「地球」「葉」「水滴」といったモチーフを採用するのは偶然ではありません。これらは自然や再生の象徴として、視覚的に瞬時にメッセージを伝える力を持っています。
図像の力を理解し、それを言語化できることは、クリエイティブ職はもちろん、企画や広報などあらゆる分野での武器になります。イコノグラフィーの知識は、まさに現代にふさわしい“実践的な教養”といえるでしょう。
イコノグラフィーの楽しみ方と今後の視点
ここまで見てきたように、イコノグラフィーはアートや文学、ゲーム、デザインなど幅広い分野に応用できる“知的な読解力”です。
・美術館で名画を観るとき
・ゲームのワンシーンで心を動かされたとき
・街で見かけた広告に目を奪われたとき
その瞬間、「この構図や色、モチーフにはどんな意味があるのだろう?」と問いを立ててみてください。
単なる“鑑賞”から、“対話”へと視点が変わり、作品との距離がぐっと縮まります。
そして、イコノグラフィーは「意味を読み解く」だけでなく、私たちが自分の想いをビジュアルで“語る”ときにも使えるツールになります。
現代社会では、SNSや動画コンテンツなど、文字よりもイメージが優位に立つ場面が増えています。だからこそ、図像が伝えるメッセージを「読む力」、すなわちビジュアルリテラシーが求められるのです。
たとえば、Instagramでバズる写真、TikTokで印象に残る演出、YouTubeのサムネイルに仕込まれた構図や色彩にも、私たちは無意識のうちに“意味”を読み取っています。
そこにあるのは、構造化された図像の言語ともいえる表現体系であり、まさにイコノグラフィーが扱う領域です。
ロゴや名刺のデザイン、SNSのアイコン、インテリアの選び方──それらもまた、あなたという人間を図像で語る“言語”になりうるのです。
おわりに
いかがだったでしょうか。
イコノグラフィーについて少しでも興味を持っていただけましたでしょうか。イコノグラフィーは専門的な学問でありながら、誰もが楽しめる視点でもあります。
美術館で作品を鑑賞するとき、街を歩いて広告を目にしたとき、ロゴやモチーフに注目することで、新しい意味や感情が湧いてきます。
この記事を通じて、「このデザインにはどんな意味があるのだろう?」と考えるきっかけになれば幸いです。
私たちの視覚世界には、無数の「語られたがっている物語」が存在しています。
その物語に耳を傾け、対話する力を育てていくこと──それが、イコノグラフィーの本当の醍醐味なのかもしれません。